複数の人間がいると、互いに影響し合うことによって、度重なる接触の中に一定の様式や秩序などが生まれる。これらをある種の領域であるかのように捉えて、構成する不特定多数の人間たちの集まりを社会と呼ぶ。まさに共同体と謂うに相応しい現代のそれは、法という秩序の元で、既成の倫理観を逸することなく、相互干渉を自ら制限することに拠ってそれの一切を社会という単独意識体に委ねている。
人を殺してはいけないのはなぜか?という問いに答えられない「現代人」が多くなったと聞く。過去の文明において生活する人間はその問い答えられたか。否、そもそも人を殺してはいけないという「真実」はそこにはなかった。在ったのは、人を殺すことによって、その属する共同体から排斥されるという事実だけだ。
道徳について思慮を焼べる人間が減ったのではなく、発生した都合論理に疑問を投げかける人間が増えたのだ。
我々は、属する社会において、如何に自らを人間的に装うかを考えている機械だ。
「飢えれば食え。絶望すれば死ね。憎ければ殺せ。愛しければ犯せ。」などと言えば社会から排斥されるであろう。
Subscribe to:
Comments (Atom)