二月二十四日、火曜日。
今朝、昼前に電話を受けた。奨学金選考に通った旨を聞かされる。ルームメイトに祝ってくれと告げれば、そんなことは分かっていただろう、と嬉しい返答。人は褒められると嬉しい。ただし僕はその時点で己を過信過大評価してしまい、即座に他人を見下すようになる。
最近読書を再開したようなことは書いたが、日本と比べるとバスや電車の中で本を読んでいる人間は際立って少ない。識字率がたった一厘違うだけでとは言わないが、民族的なそして人種的な差であろうか。黒人の若い男性がペーパーバックを読んでいるところなど一度も見たことが無い。とにかく、僕はアメリカ人を見下している。完全なレイシストだ。それはアジア人であるという劣等感からくるどうしようもない感情の裏返しであり、そのルサンチマンはどこにやる場所も無い。僕は日ごろそういった鬱憤を深層意識にたいそう綺麗に折り畳んでおくことは出来ないし、だから何も考えていない平和主義人類皆兄弟のようなツラをしたやつらも虫唾が走るし、とにかく国を変えても僕の性根は変わることはないのだろう。
こうした矛盾だらけの文章を書くのは実に気持ちがいい。読み返す時にどれ程馬鹿馬鹿しく憶えたとしても、これを書いているときの小気味よさには到底及びもつかないだろう。
昼過ぎ、一時半を少し過ぎたくらい、バスの到着時刻より数分早く家を出る。バス停で待つこと十五分、どうやらバスは予定より早く通り過ぎて行ったらしい。仕方なく大通りにある他路線のバス停まで歩いた。そこでまた十分程待ちようやくバスに乗れた。授業には十五分送れで、登校時間七十分のうち五十五分はただ待っていただけという無為な時間は気を消沈させるには十分だ。毎日訪れる事の中で、あの無駄で寒くていつ終わるかも分からない不安な時間は最も厄介なうちの一つである。
夕方。本屋で物理の教科書を購入した。店員が割引してやるからATMで現金を引き出せという。所持している全てのカードを試したが、拒絶される。知っている、前にも試したことがある。画面がアナログ過ぎて、デザイナー顔も見たくないような貧相なATMは、米全土に分散しているようだが、本当に技術力の低さが目に付く国だ。あらゆる平均をすこし上げただけの人口土偶国家だ。殊東京に比べると技術的格差が目に付く。こんな国の連中など日本人はとっくの昔に凌駕している。それでも尚属国として甘んじているのは、政治でも経済でもなく、日本人の精神的緊張の怠慢という平和ボケした流れに身を任せるという主体性のない国民性にあるのだ。
僕には主体性がある。それを侵されるときは全力で抗うけれども、事なかれと身を流すことは多々ある。分からなければ訊くのではなく、自らで究明する。だから本筋を乱すことはしない。そしてだから創造性に欠けるのだ。脳みその中で考える為ののキャパシティを常に空けておくという意味の分からない作業をしている。考えるべきときには何も考えないのだ。だのに人間の脳みそはニ割くらいの部位しか活動していないらしい。
目的を集束させて止揚させる能力は、獲得しなければいけないものだ。
体調不良は治ったが、課題は山積みだ。
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